November rain (love the song by Guns N’ Roses) is nice and cozy… It’s pretty cold in the Hamptons now, but the houses look nice and neat, the autumn colors of mums at the front entrances. I enjoy my chai latte with almond milk at my favorite cafe after my morning meditation circle. Some of […]
Category: Episodes
不安がもたらすもの
ノーベンバー・レイン(ガンズ・アンド・ローゼスの曲好きです)はホンワカするものがある‥ハンプトンズは今かなり寒いけれど、すっきり整えられた家々の玄関が秋色のスプレー菊で飾られていい感じ。瞑想サークルのあと、いつものカフェでアーモンドミルクのチャイラッテを楽しむのが私の朝の日課です。最近では入ると同時に私のチャイラッテを作り始めてくれて、帰り際には「よい一日を過ごしてね、ユカ!」と言ってくれる顔見知りのスタッフもできた。そんな小さなことがハートを温めてくれて、平穏な気持ちにさせてくれる。住み慣れたみたい。 いつもなら、この時期はバレエの『くるみ割り人形』の仕事をしていて異常に忙しくて、他には何もすることできなかった。二ヶ月続けて毎日一日中コスチュームを製作していて、ストレスで寝ている時に歯ぎしりしているとオットに言われていた。娘のためのクリスマスツリーもショーが終わるまではお預け。そこまでするだけの価値はあったけれど、仕事の量があまりにもキツかった。 でもこの秋はべつ。何百着というコスチュームをこの十一年作ってきたバレエの学校を、去年の『くるみ割り人形』を最後に辞めた。みんなから感謝されて居心地のいい環境ではあったけれど、わたしはニューヨークシティ・バレエ(NYCB)やメトロポリタン・オペラ、それにもっと大きなフィルムの仕事をすることをずっと夢見ていた。占星術師のジェイムス・ヘイグニーによると、私くらいやるべきことをやりこなしてきた人をまだみたことがないとか。持って生まれた向上心で、次々に成功を収めたがる。軽薄に思われるかもしれないし、自分のエゴだとはわかっているけれど、称賛されるアーティストになりたいのです。思考は現実化する。ならばぜひ実現させたい。映画『フィールド・オブ・ドリームス』でささやかれたように、「それを作れば彼は現れる」!そのために新しい仕事を迎えるスペースを作った。マドンナの歌ではないけれど、今こそジャンプする時が来たと思う! 映画『ファントムスレッド』でオートクチュール・デザイナー役を演じたダニエル・デイ・ルイスにドレーピングのやり方などの指導をした、NYCBコスチューム・ショップディレクターがその”彼”だと最初に思った。ショップディレクターと知り合いの友達に紹介をお願いしたら、快く許可を得て”e-紹介”していただけた。NYCBでコスチュームデザイナーがどのように仕事をするのかを、私と会って説明してくれるだろうということだった。演劇界ではコスチュームデザイナーはディレクターが連れてくるものだけれど、バレエの世界では振付師とつながる必要があるようだ。 私は彼からの返事を心待ちにしていた。一週間はあっという間に去り、そして一カ月‥とても忙しい人だと知っていたので、夏休みに入る前を見計らってファローアップのメールを送るまで、三カ月辛抱強く待った。それでも返答なし。「メールちゃんと届いたのかな‥」と不安になった。大事なメールが迷惑メールボックスに直行することは良くあることだから、ちょくちょくチェックしていたけれど、NYCBからは何も来ていなかった。みじめな気持ちで返事がない理由を探していた。 タロットカードでは、何か他にするべきことがあると出た。電車がホームに入ってきたらすぐに飛び乗れるよう、準備を整えるように言われた。何をしたかというと、NYCBについてもっとよくリサーチをした。必要ならば下働でもなんでもするつもりで、コスチューム関係の募集があるかどうかをチェックした。専属振付師で、今さわがれるジャスティン・ペックのビデオも見たりした。彼と仕事をしたことのあるアーティストの中には、仕事を始めて四年くらいですでにいくつも賞を受賞している若いアーティストが何人かいた。マンハッタンにはそんな若くて才能のある、エネルギッシュでスピーディーにコスチュームを生み出すアーティストが五万といる。そんな若者たちと、私はどうして対戦できるだろうか?そんなエネルギーが私にあるだろうか?すごく圧倒されて、落ち込んだ。不安が心に重くのしかかった。 幸い私はそんな風に落ち込むことには慣れていた。不安感を振り落として、エンジェルがいつも私を助けようとしてくださっていると自分に言い聞かせた。そのおかげか、瞑想のあとに手にとったグープの雑誌にその答えが! 「他人と比較することは毒となる。自分自身と対決するのは健全。どんなにそそられても、自分の周辺、先をゆく人、後から追ってくる人がしていることを気にしていても何も良いことが起こらない。人それぞれが、個々の人生と向き合っているから;自分が得るもの、得ないものは他人には関係がないし、他人が得るもの、得ないものも自分には関係がない。今ここで自分が得るべきことに全集中を向けよう。」グウィニス・パルトローありがと〜 夏の終わり、友達のダイアンが誕生日祝いにNYCBのイベントに招待してくれた。そこで紹介してくれた女性はなんと、NYCB取締役副会長五名のうちの一人(サラ・ジェシカ・パーカーもその一人)であった!デザインしたチュールのスカートをはいてきて正解。注目された。「あなたのようなすてきなコスチュームで(NYCBのプリンシパルダンサーたちが)踊ってくれたらいいのにね!」インターミッションの後、近くに座っていた女性からお世辞を言われた。「嬉しいこと言ってくれたわね!」いたずらっぽい笑顔でダイアンが横でささやいた。 素晴らしいことに、その副会長さんは『くるみ割り人形』で見た私のコスチュームはとても良かったと言ってくださった!「NYCBで仕事をしたいとずっと思っていたんです!」と興奮気味に言う私にポートフォリオを見たいとも言っていただけた!ダイアンも副会長さんもそれぞれお忙しい方たちだけれど、ダイアンがイタリア旅行から戻ったらミーティングをセッティングしてくれると約束してくれた。ダイアンの良い提案に従い、デザイン画も入れた写真集を何冊か作った。結構時間がかかった。「これが例のしなければいけない事だったのかしら?」そうだといいな。 果たしてまたもや不安な待ち時間、落ち込みモードを乗り越えてファローアップメールを送った後、やっと先週副会長さんからお返事をいただけた。ポートフォリオを見るのを楽しみにしている、次の委員会議にフォトブックを持って行けると言ってくださった!喜びで小躍りしてしまった!「よかったわね!」とダイアン‥最高!写真集、カバーレターと履歴書にチョコレートの箱を添えて(非常に日本人的)マンハッタンの副会長のアドレス宛に送った。 このことを今書いてシェアするのは勇気が要った。「いい報告が入るまではシェアするのは待った方がいいかも‥」 私は怖がらないことを選びました。不安感は悪いエネルギーだから。無知が不安をもたらす。不安感は肩に重くのしかかって、足を引っ張る。世界には何千もの成功しているアーティストがいるけれど、私にも独自の才能がある。今まで頑張って仕事をしてきて、私のコスチュームはみんなから称賛されている。私だからこそできる仕事が必ずあるはず。不安感をやっつけるのには瞑想が役立っている。第三の目のチャクラから、愛のエネルギーの白い光が差し込むのを想像しながら息をゆっくり吸い込み、黒い煙の不安感を地にはき出す。瞑想サークルのリーダーがシェアした本の一節に私へのメッセージがありました。 「昨日起こった事や明日起こるかもしれない事を心配することに多くの時間を費やしていては、人生を楽しむことはできない。恐れるから心配になるのだ。いつも恐れていては、今生きていること、幸せでいられることに感謝することができない。」ーティク・ナット・ハン 恐れずに愛を! Love, y.
この世を去った妹
ハロウィーンがすぐそこまでやってきて、トリック・オア・トリートでにぎわうハンプトンズのストリートの多くの家が、飾り用の蜘蛛の巣や墓石などで墓場やホーンテッドハウスになってきた。紅葉で木々が赤やオレンジや黄色に染まり、暖炉に焚かれた薪やスパイスの効いたアップルパイの香りが空気に漂う季節‥ほんわかしていい感じ。ただ私には、四年前に妹がこの世を去ってからはちょっと寂しい時期でもある。 あの10月15日の寒い朝、私はフェイスブックのメッセンジャーで友達とその週マンハッタンに観に行くショーの予定を立てていた。主演女優のブライス・ダナーからの招待である。ブライスとはその夏イーストハンプトンであったショーのワードローブの仕事をして知り合った。私の仕事ぶりをとても気に入ってくれて、優しくしてくれた。マンハッタンで仕事ができるように手助けしたいと言ってくれて、彼女の新しいショーでワードローブの仕事をしないかと聞いてくれたけれど、私はすでにシェークスピアの『ハムレット』のコステュームデザインの仕事が入っていて受けることができなかった。私を招待してくれたのは、ブライスのような有名人でさえも購入困難だったケイト・ブランシェット主演『メイド』のチケットを幸運にも友達のダイアンBから譲って貰って、ブライスを招待した後だったからだった。開演前に日本食レストランで夕食もご馳走してくれて、冷酒をいただきながら楽しい時を過ごせたので、その週またブライスに会えることをとても楽しみしていた。 いつもの朝のおきまりで、パジャマにぬくぬくローブ姿でレモン湯をすすりながらダイニングテーブルでラップトップの前に座っていた私。そこへ日本からショッキングな電話が入った。残された子供達をずっと見守ってくれている、妹の元彼からだった。妹がその日亡くなって、私の姪と母に付き添って警察署から電話をしていると言った後、泣いている姪に電話を代わった。遅かれ早かれこんな日が来るとは思っていたけれど、現実を受け入れるのは難しかった。頭がパニック状態になったけれど、かわいそうな姪をなんとかなだめたかった。母がそばにいても認知症で頭が働くなっていたから、あまり支えにはならなかったと思う。感情も麻痺しているようだった。母の人生は苦労が多かった。一人で私たち子供三人を育て、祖父母の面倒をみて、その後妹と孫二人も背負う羽目になった。孫二人の世話をすることは母の生きがいになってはいたようだけれど。 私の妹も母と同じで結婚に失敗していた。妹の別れた旦那のことは私はあまりよく知らなかったけれど、ヤクザと問題を起こして、二人目を妊娠中に蒸発したと聞いている。妹家族は実家で美容院を経営していた母と同居していた。妹も美容学校へ通ったものの、中退してバイト以外に仕事をしたことがなかった。私と妹はあまり話をしていなくて、妹が死ぬほど飲んでいたことも知らなかった。ある日「死にたい」とメールが入るまでは。驚いた私はニューヨークから直ぐに電話をした。妹は重度のうつ病に苦しんでいた。話を聞いた後、まだ母が元気で子供達の面倒をみてくれている間に、仕事のためのスキルを身につけるようにアドバイスした。その後時々電話で話したけれど、わたしがうるさく言い過ぎたのか、電話に出てこなくなってしまった。 その翌年、母が完全にボケてしまって家のことをどうしていいか分からない、帰ってきて、と妹が哀願の電話をしてきたので帰国した。認知症レベル1と診断されたという母だったけれど、私にはまだ普通に見えて、妹のことの方がよっぽど心配だった。。付き添って精神科の医師に会ったり、いろいろと溜まっていた用事を処理するのを手伝ったけれど、妹は酔っ払ってハイになっているか、精神安定剤で寝ているかのどちらかであった。妹はその二年後に肝硬変で亡くなったのだ。いつの頃からだったのか、子供達や母を放って当時の彼氏のアパートで過ごしていて、そこで亡くなったようだった。 私は当時『ハムレット』の仕事をしている最中だったし、最悪なことに、家の改装のために借家へ数日後引っ越す予定で帰国するには不都合な時だった。「直ぐに行ったほうがいい?‥それとも少し後で、お葬式前までに行けばいいかな‥?」姪の気持ちを聞くと、思った通りすぐに来てほしいと言うので、そうするしかなかった。電話を切った後、オットにテキストしたら、すぐに家に電話してくれた。オットの存在が本当にありがたい。朝のくつろぎが大混乱になってしまった。深呼吸して心を落ち着かせ、帰国の予定を立てた。 母が物を捨てられず家の中はゴミ屋敷になっていたので、実家に泊まることはできなくなっていた。私は旅行の計画を立てるのには慣れていけれど、この時選んだ安いが狭いチェーンホテルは失敗だった。大浴場と和食の朝食ビュッフェは良かったけれど、陰鬱で夜一人で部屋にいて怖くなった。ネガティブな気配。アメリカに来てから気がついたことであるが、私は少し霊感があるようで、昔から場所によって背筋がゾクゾクしたり、頭が重くなって吐き気をもよおしたことが何度もあった。ホテルでテレビをつけっぱなしで寝たら、ある晩夜中に「ナンミョウホーレンゲーキョー」とカタカナ風に唱えるお経で目が覚めた。テレビでモハメド・アリの葬儀を中継していたのだった。仏教を信仰していたのだろうけれど気味が悪い。私の家族は日蓮宗を信仰していたけれど、日本のお葬式というものはどうしてあんなにおどろおどろしいのだろうか。 日中は妹が亡くなった後の各種手続きを母に代わって動き回っていたため、火葬場へいざ行った時まで妹が亡くなったという実感がまだなかった。母は一度も涙を見せなかった。子供達もその日まで学校へ通っていて会っていなかった。私は妹を亡くした悲しみを家族の誰とも分かち合っていなかったせいか、喪服姿で会場に現れた三人の叔母たちの顔を見た途端、突然悲しみが浮き上がって涙があふれた。妹が入退院を繰り返した費用や治療費で母は貯金を全て使い果たして破産していたため、生活保護のお世話になっていた。葬儀の費用や手配は保護課でしてくださるとのことだったのでありがたかったけれど、御通夜も、お葬式もお坊さんもない、火葬場だけで済まされた。棺の中の死化粧もされていない蒼白い妹の顔を見た時には、かわいそうで泣けた。あんな悲しい死に方は私はしたくないと思った。ちゃんとした葬儀をしてあげられなくてごめんね、と妹に謝って私は泣いた。最後のお別れで欄の花を胸に置いた時、妹の目から涙が‥「感謝の涙だな」母が淡々と言った。その光景は怖かったけれど、美しくもあった。 ハンプトンズに戻ると、ハムレットのキャストやクルーのみんなや私が衣装をデザインするバレエの学校ダンサーたちからお悔やみ状が寄せられた。感謝で心が温まったけれど、ハムレットのオフィーリアの遺体の人形が棺桶の妹を思い出させて、葬儀のシーンを見るのは辛い物があった。忘れるまでにしばらくかかった。 この命日の数日前、夢で妹に会った。セレブ霊媒師のジェームス・ヴァン・プラグによると、亡くなった愛する人が夢に出てくる時、実はあちらの世界に私たちが訪問したのだそう。命日の日、ラインで甥、姪と弟にグループラインしてみた。甥からだけ反応がかえってきた。甥も夢で母親にあったらしい。「何か言ってた?」と聞くと、「ごめんね、ってマジで言ってた。」と甥。 甥には必要だった言葉だったと思う。妹のことは悲しかったけれど、あちら側では大丈夫だと私は信じている。妹のそばにいてあげなくて後悔はある。でもこれも人生。今は妹があちらから家族を見守ってくれているだろうから、私は自分のできる限りのことをしていけばいいと思う。 みなさんも、どうぞ与えたれたものを大切にして、愛する者には愛情を日々伝えられますように‥! 愛を込めて y.
Missing my late sister
As Halloween is approaching, I see the houses on the streets of Halloween central around the Hamptons are becoming grave yards or Haunted houses with fake spider webs and tombstones and such. The trees have started turning red, orange and yellow, and the nice wood burning smell from fire places and the sweet spiced apple […]
人が私をどう思うかは私の知ったことではない
ついこの間、この春東京で会って以来ずっと話していなかった古い友達とラインで軽くおしゃべりをした。ちゃんとしたお母さんならみなさん同じだと思うけど、彼女も娘さんの学校のことを心配していた。娘さんと話し合いをしているはずが、親子喧嘩になってしまうらしい。高校の留学制度を利用して海外を体験するのに留学させてあげようとしているのに、当の本人は全く興味がないとか。私もティーンエイジャーの娘がいるから彼女の気持ちが分かる。 「うちの娘は受験体制に入ってすごくやる気になってるよ。忙しくてケンカするヒマもない感じ。あと二年でいなくなっちゃうんだな〜なんて。」と返事を書いた。 「ゆかちゃん家は活気があるね。ウチはダラ〜としてる。でもヒマだからケンカしてるわけじゃないんだけどね。」彼女のことではなく、自分のことを書いたつもりが、誤解させてしまったようだった。仕事をしながら一人で子供二人を育てている良い母親をしている友達を、私は尊敬していた。 「そんなつもりで言ったんじゃなかったのだけど、ごめんね!うちの娘はこの夏はずっとバイトしてたし、あとはサーフィンしてるか、友達と出かけてるか、パパとスポーツのトレーニングしているか、宿題をしているか。話せる時なんか車で送り迎えする時くらい。それもただ私がお説教してただけで、ちっとも話を聞いてあげていなかったの。ほとんど返事がなかったから、嫌だったと思う。よく泣かせたし。母親だからって威張っていて、他にどう接していいのか分からなかったの。誰も人を変えることなんかできないんだよね。自分の子供でさえ。でも自分自身が変われば周りも状況も変わるよ。私は犬を飼ってから子供に対する愛情を表現できるようになって、子供にも大人と同様に話せるようになったの。一緒にしゃべるのが楽しくなった。子供も成長したんだよね!」と説明して、話題を最近出会ったセレブの話に変えた‥ もしかしたら友達は誤解して嫌な思いをしてしまったのかな、と思ったけどあえて聞かなかった。 人は時々、誰かに言われたことを気にしてしまうものだな、とあとで思った。以前相手に嫌な思いをさせられたことがあって、自己防衛しただけだというひともいるかもしれない。でもそんな昔の心の傷を思い返して、どこかで忘れ去られた幼い自分の記憶を探ってみたら、嫌な思いをさせたのは自分自身だったと気づくことがあるかもしれない。ほかの人が自分をどう思っているかとか、自分を好いてくれていないとか、尊重してくれていないなどということを心配することで。そんなネガティブな気持ちは大敵で自分を不安にさせて不幸せにするだけ。誰かが実際何かを言ったのならまだしも、大抵は自分でそう思っているだけじゃないだろうか。たとえ人があなたに考えなしなことを言ったり、人前であなたを罵ったとしても、それはその人の問題で、あなたが心配することではないと思う。人がどんな状況にいて、ホルモンのバランスが悪いとか、ストレスが溜まっていることなどは知る由もないのだから、いつも自慈悲の心を忘れずに、自分にできる限り人助けを心がけたい。だからと言って、ネガティブなエネルギーはごめんこうむる。みんなそれぞれ問題があるけれど、それが人生というものだから関わる必要はないのかもしれない。人助けはいいことだけれど、まず自分や自分の家族を大切にしなければいけない。自分を愛することができれば幸せだし、人を愛することもできる。 そんなことを考えていた時、ヘイハウスというスピリチュアル系な出版会社のニュースレターから、故ウエイン・ダイアー博士からのメールを受け取った; 「誰かがあなたの気にすることをいったとしても、それを個人的に嫌味に受け取る代わりに親切な対応をする。自分が正しいことを主張するよりも、親切な対応を心がけたい。」 「仕返しをするなら自分の墓穴も掘ったほうがいい」ー中国のことわざ。 「ひとからの贈り物を辞退したら、その贈り物は誰のものだろうか?ほかのひとの物をなぜ自分を嫌な気持ちにさせる原因にするのだろうか?」ー悟りを開いたマスター。 「人気の本のタイトルのように、人が自分をどう思うかなど私には知る由もない。」 ドイヤー博士に感謝。自分自身でいることがだんだん楽になってきた。自分が愛されていることを知っているから。
What you think of me is none of my business
I recently had a brief chat via on line with one of my old friends I hadn’t spoken to since I last saw her in Tokyo this past Spring. She was concerning about her daughter’s school work as all responsible moms do. She said their conversations always end up in an argument. She also wants […]
デイビッド・バーン アメリカン・ユートピア・ツアー
いろいろな音楽が好きなダンナと私だけど、同じタイプを好まない‥これって特に遠くへドライブするなんか結構つらい。一番大好きな曲(もちろんデュラン・デュランのセーブ・ア・プレイヤー!)をいきなり断りもなく止められた時には腹が立ちました!彼は”おやじ系”ヴァン・モリソンなんかが好きで、私は80’s一辺倒だから、一緒にコンサートに行くのはほとんど皆無。ラッキーなことに、私が友達と出かけるのは気にしないので、親愛なる友達のマキシーンがパフォーミングアーツ仲間、一緒にデュラン・デュラン、マドンナとThe B-52’sを見に行きました。他のクールなママ友たちとゴーゴーズ、ホール&オーツとチープ・トリックもハンプトンズに住むようになってから見に行きました。 それでも実は何曲か一緒に聴ける曲もあるのです。ジョン・レノン、ローリング・ストーンズとかホール&オーツ。今でもオリジナルメンバーで現役だからすごいですよね。いなくなる前に是非観に行きたいけれど、オットが言うにはストーンズはライブだと音がもう”タイトじゃない”から行きたくないそうです。ふーん。そんなかんじなので、先週の月曜日にマキシーンと彼女の天才的ミュージシャンのトム・ドンコートと一緒にデイビッド・バーンのライブに行ってくれてとってもうれしかった!私なんてまだ”ベイビー”だった時にトーキング・ヘッズ聴いていたそうなんです! キングス・シアターはブルックリン・ブリッジのふもとにある有名なレストラン、リバーカフェから18分だというので5時半にそこで待ち合わせた。ブルックリンへはハンプトンズから車で約3時間。相変わらず高速は渋滞していたけれど、いかすHOVレーン(二人以上乗車の車のみ走れる)ではスイスイ!30分早く着くと思ったのに、私のスマートなレクサスがマンハッタンへ渡るウイリアムズバーグ橋へ行く道にナビしていたことに気づかず、すごい渋滞で他に出口がなくて、普通10分のところ40分もノロノロ行く羽目になり10分遅刻!レストランではとてもすてきな時を過ごしていて誰も時間を気にしていなかったので、コンサートの始まる10分前にそこをやっと出た。そしてシアターまで30分もかかってしまった。まだ人がゾロゾロと会場していることろを見てホッとしました〜9時までコンサートは始まらなかったのです! もう一人のデイヴィッド・バーンファンで一番カッコイイ友達のダイアン・B(トーキング・ヘッズやブロンディを生み出したライブハウスCBGBやStudio 54など、あの時代をすべて体験してきた女性です!)は愛するリズとイタリア旅行中でコンサートに来られなかったけど、彼女の仲良しの友達のアイリーンは行ったらしい。翌朝私たちにどうたったか報告して!とイタリアからメールが来た時のアイリーンの返事は雑誌のように素晴らしいレビューでした。 「デイビッドはかつてしたことがないような”パフォーマンス”を演じてくれたわ。オープニングは、きついライトに照らされたデイビッドが脳みそを手に、質素な木の机に座ってるの。ボブ・ウィルソンがハムレットで(頭蓋骨を持って)やった時みたいな感じよ。ステージは完璧なミニマリスト。天井から床まであるチェーンのカーテンが後ろ三片に壁を作ってた。今はなきフォーシーズンズ・レストランのチェーンカーテンのシルバーバージョンね。バンドはショルダーストラップで楽器を背負った軽装のマーチバンドスタイル。1995年のジル・サンダース的なシルバーグレーのギャバジンスーツをみんなお揃いで着てたわ。最新アルバムからの2曲から始まって、昔のヒット曲も演奏。新しい曲と古い曲をショーに織り込んだのはスマートだったわ。観客はみんなトーキングヘッズの熱狂ファンだったんだもの。私が座っていたオーケストラセンター10列目では最初の二曲目からみんなが立ち上がって、帰る時まで座らなかったわよ。最後はイメルダのショーからの2曲で締め。最後の曲はジェネル・モナエがワシントンD・Cのウーマンズマーチで歌った曲を、彼女の許可を得て今の政治状況にアップデートしたという替え歌だった。このツアーのすべてのショーのロビーにその場で選挙投票登録を行うグループ”サインアップ”(確かそんな名前の)を置いてるんですって。アメリカ各地で20%の国民しか投票していないのに(彼の言ってることは正しい)投票しない残りがいつも文句を言っていると、観客に叱ったわ。今まで私が見た中で最も素晴らしいミュージックショー・パフォーマンスだったわ。」 デイビッド・バーンが30代のように踊っていたということくらいしか、これ以上付け加えることはありません!本当にカッコよくてスマート!2度目のアンコールで歌った最後の曲では警察に射殺された人たちの名前を叫んでいた、と後でスマートなオットから教わりました。政治には全く興味のなかった私も、多くの人がそうしたように2016年の選挙前からニュースを読み出しました。投票するためにアメリカ国籍に変えたくらいです。マキシーンとその娘と一緒に私もD・Cのウーマンズマーチに参加したけれど、ジェネル・モナエの演奏は遠すぎたからか聴きませんでした。あの夜沢山の人が投票登録したといいな。デイビッド・バーン、ありがとう!私のヒーローです! Burning down the house Say his name Everybody comes to my house
David Byrne American Utopia Tour
My husband and I love many kinds of music, but we don’t listen to the same type…it’s hard, especially on long drives. He seriously upset me once, when he just turned off my favorite song (Save a Prayer by Duran Duran, of course) without asking me! He likes “old men” music like Van Morrison, and […]
16歳!Blog 3
「行くよ‥」寝ているオットをロシャシャナ(ユダヤ教の元旦)の早朝起こした。妊婦はお産が近づくと家の中を片付け始めると言うけれど、私の場合は前日にペディキュアをしに行った。きれいな爪先でお産にいどみたかったのだった。 予定日は二週間先だったので、実家から母が来るのを一週間後に手配していた。出産に備えてずっと前から持って行く物はバッグに詰めてあったし、部屋も用意できていて(カーテン、ベビーベッドの寝具や何かはお揃いの生地で手作り!)準備万端だったので私は落ち着いてました。育児書もしっかり読んで勉強していたし。ただ、病院へ行くのが早すぎた。子宮口が十分に開いていなくて、夜の8時過ぎまで産まれなかったのだ。麻酔をするので病院では何も食べさせてもらえず空腹に一日耐えなければいけなかった。姑とその旦那さんが午前中に駆けつけてくれたのはいいけれど、待ち時間が長くてアイスクリームを買ってきて私の目の前で食べ始めた。おいしそうなストロベリー味の香りがした時には殺意を覚えた!子宮口が開くように廊下を行ったりきたり歩かされた後、麻酔を打ってもらった時は簡単に産まれるものだと思ったけれど、マチガイでした。クサいラマーズクラスから逃げ出して、呼吸法を練習しなかったせいで、いざ力む時になってどうやっていいのかわからなかったのだ。休日だったためか、担当の看護婦さんが交代の前に産ませるぞ、とでも思ったかのか、私の承諾なく麻酔を切った。後で知ったけれど、オットには承諾を得たらしい‥それにしてもふんばれず、担当の先生が吸引機で娘の頭を吸い出す羽目に。これが死ぬほど痛くて絶叫。日本の女性が麻酔なしで自然分娩しているのが想像もできません。娘がやっとこの世に生まれ出て、看護婦さんが私に見せてくれた時には疲労で目も開けることができず、感動もコダック撮影の間もなかった。先生があそこを縫い合わせるのに麻酔をしてくれて安らいで、日本の友達が言ったおもしろい話を思い出した。出産して医師が縫い合わせるのに時間がかかっていた時に彼女の言ったこと。「そこに刺繍してるんじゃないでしょうね!?」爆笑! すべて終わり、優しいオットに頼んで買ってきてもらったチーズバーガーとチョコレートシェイクをいただいた。みんないなくなって、病室には出来立ての家族3人だけだった。「私にそっくり‥」残念そうに言った私。黒の方が色的に強いのだからオットのブロンドの髪と青い眼ではないのは知っていたけれど、私のぶた鼻!美しいハーフの赤ちゃんを期待してたのにぃ。オットは笑ったけれど、幸せそうであった。娘のちいちゃな手を優しくつついたら、強く握り返した。その瞬間、自分がパパになったと実感したのだと後で話してくれました。それ以来、オットは娘がこれ以上望めないほどの優しい愛情深いパパでいてくれています。 今日16歳になった娘は、長い黒髪が自慢のヘーゼル色の眼をした私が作った中で一番美しい作品!こんな健康で、優しく、楽しく、利口な子供を授けていただいてとても感謝しています。私の絶品に! そうそう、私が力んでる時に看護婦さんからペディキュア褒められました‥!
Sweet Sixteen-Blog 3
“It’s time…” I woke my husband up in the early morning on Rosh Hashanah. They say mother nature makes pregnant women start cleaning around their house when the time is near, but in my case, I went to the nail salon to get a pedicure done; I wanted my feet look pretty when I go in […]