Japanese

人が私をどう思うかは私の知ったことではない

ついこの間、この春東京で会って以来ずっと話していなかった古い友達とラインで軽くおしゃべりをした。ちゃんとしたお母さんならみなさん同じだと思うけど、彼女も娘さんの学校のことを心配していた。娘さんと話し合いをしているはずが、親子喧嘩になってしまうらしい。高校の留学制度を利用して海外を体験するのに留学させてあげようとしているのに、当の本人は全く興味がないとか。私もティーンエイジャーの娘がいるから彼女の気持ちが分かる。 「うちの娘は受験体制に入ってすごくやる気になってるよ。忙しくてケンカするヒマもない感じ。あと二年でいなくなっちゃうんだな〜なんて。」と返事を書いた。 「ゆかちゃん家は活気があるね。ウチはダラ〜としてる。でもヒマだからケンカしてるわけじゃないんだけどね。」彼女のことではなく、自分のことを書いたつもりが、誤解させてしまったようだった。仕事をしながら一人で子供二人を育てている良い母親をしている友達を、私は尊敬していた。 「そんなつもりで言ったんじゃなかったのだけど、ごめんね!うちの娘はこの夏はずっとバイトしてたし、あとはサーフィンしてるか、友達と出かけてるか、パパとスポーツのトレーニングしているか、宿題をしているか。話せる時なんか車で送り迎えする時くらい。それもただ私がお説教してただけで、ちっとも話を聞いてあげていなかったの。ほとんど返事がなかったから、嫌だったと思う。よく泣かせたし。母親だからって威張っていて、他にどう接していいのか分からなかったの。誰も人を変えることなんかできないんだよね。自分の子供でさえ。でも自分自身が変われば周りも状況も変わるよ。私は犬を飼ってから子供に対する愛情を表現できるようになって、子供にも大人と同様に話せるようになったの。一緒にしゃべるのが楽しくなった。子供も成長したんだよね!」と説明して、話題を最近出会ったセレブの話に変えた‥ もしかしたら友達は誤解して嫌な思いをしてしまったのかな、と思ったけどあえて聞かなかった。 人は時々、誰かに言われたことを気にしてしまうものだな、とあとで思った。以前相手に嫌な思いをさせられたことがあって、自己防衛しただけだというひともいるかもしれない。でもそんな昔の心の傷を思い返して、どこかで忘れ去られた幼い自分の記憶を探ってみたら、嫌な思いをさせたのは自分自身だったと気づくことがあるかもしれない。ほかの人が自分をどう思っているかとか、自分を好いてくれていないとか、尊重してくれていないなどということを心配することで。そんなネガティブな気持ちは大敵で自分を不安にさせて不幸せにするだけ。誰かが実際何かを言ったのならまだしも、大抵は自分でそう思っているだけじゃないだろうか。たとえ人があなたに考えなしなことを言ったり、人前であなたを罵ったとしても、それはその人の問題で、あなたが心配することではないと思う。人がどんな状況にいて、ホルモンのバランスが悪いとか、ストレスが溜まっていることなどは知る由もないのだから、いつも自慈悲の心を忘れずに、自分にできる限り人助けを心がけたい。だからと言って、ネガティブなエネルギーはごめんこうむる。みんなそれぞれ問題があるけれど、それが人生というものだから関わる必要はないのかもしれない。人助けはいいことだけれど、まず自分や自分の家族を大切にしなければいけない。自分を愛することができれば幸せだし、人を愛することもできる。 そんなことを考えていた時、ヘイハウスというスピリチュアル系な出版会社のニュースレターから、故ウエイン・ダイアー博士からのメールを受け取った; 「誰かがあなたの気にすることをいったとしても、それを個人的に嫌味に受け取る代わりに親切な対応をする。自分が正しいことを主張するよりも、親切な対応を心がけたい。」 「仕返しをするなら自分の墓穴も掘ったほうがいい」ー中国のことわざ。 「ひとからの贈り物を辞退したら、その贈り物は誰のものだろうか?ほかのひとの物をなぜ自分を嫌な気持ちにさせる原因にするのだろうか?」ー悟りを開いたマスター。 「人気の本のタイトルのように、人が自分をどう思うかなど私には知る由もない。」 ドイヤー博士に感謝。自分自身でいることがだんだん楽になってきた。自分が愛されていることを知っているから。

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