Japanese

ジョン・レノンからのメッセージ

気がつくと12月!まだクリスマス気分ではないけれど、クリスマス・イルミネーションでハンプトンズの通りはフェスティブでいいかんじです。お隣さんの新しいテナントが、ドライブウェイの大きな木をマンハッタンのロックフェラー・センターのツリーのようにライトアップしてくれて嬉しい! 先日フォトシュートがあった時に、メイクをしてもらっていた近所の化粧品屋さんではすでにクリスマス・ソングが流れていました。感謝祭が終わるとすぐ、どこのお店も同じ。毎日、毎日一日中聞かされてうんざりしないのだろうか。「ユカはクリスマス・ソング好き?」目の下にファウンデーションを叩きながらお気に入りの店員さんが訊いた。「ううん」目を閉じたまま言った。「わたしも!クリスマスまで26日もあるっているのに、気が狂っちゃう!」やっぱり。はは。 今朝犬の散歩に行った時、アメリカ人のドッグ・ウォーカー(犬の散歩を仕事にする人)に日本ではクリスマスを祝うのかと聞かれた。祝いますよね。日本ではクリスマスは祝日ではないけれど、私の家族のようにキリスト教を信仰しない人でもプラスティックのツリーを飾り、ご馳走をいただいて、プレゼント交換をしますね。うちの母はよく、鳥の丸焼きとお子様シャンペン、それにキャンドルの味がして嫌だったバタークリームでデコレーションされたクリスマスケーキを買ってきた。暖炉もない家になぜかサンタがやってきて、枕元にプレゼントを置いてくれたっけ。クリスマス・イブにはミサを見に教会へ行き、大晦日には初詣に出かける人もいますね。 そんな、”なんでもあり”の日本を妙だと思ったこともあったけれど、特に今のような世界状勢では良いことだと思います。宗教に関係なく、みんなが同じ祝日を一緒に祝えたらいいな。ジョン・レノンが書いた中で私の一番好きな曲、「イマジン(想像してごらん)」のように。 国なんかない世界を想像してごらん 難しいことじゃない 何かのために、殺すことも死ぬこともなく 宗教もない 想像してごらん 全ての人々が平和に暮らしていることを 私の家族は日蓮宗を信仰していたので、私はその教えで育てられました。おばあちゃんによく連れて行かれた、お寺の神聖な雰囲気が好きでした。日蓮の教えは主に「人を尊重して親切に接すること」だったと思います。ただ、”のんのちゃん”(神様)はいつも見てるから、悪いことをしたらバチがあたる、人を殺したらあの世で地獄に落ちると言われていました。恐怖を与える方法ですね。いい子にしていないとバチがあたる。子どもには恐ろしい脅しでした。 ハンプトンズで出会った日本人の友達から、インドのスピリチュアル・リーダーのサチア・サイ・ババのことを習って、私の人生は変わりました。サイババの教えは「すべてを愛せよ」でした。宇宙は私たちすべてを愛してくれている、と学びました。人々はそれぞれの宗教の神様を崇め、中にはその規制だけに沿い、他の宗教の祝日は祝わない人たちもいます。教会や神社へ行くことは汚らしい、と母が私に言ったことがあります。間違っていると思ったので、私は従いませんでした。オットはユダヤ系アメリカ人ですが、彼の母はその祝日だけ祝ってクリスマスは何もしません。オットと私は宗教にはこだわらないので、うちでは色々な祝日を一緒に楽しみます。 人類はみんな、想像主・宇宙の意思・神の一部だとする、ワンネス(宇宙の一体性)を信じています。私たちも神だということです。尊重して愛を与え合う。私たちの身体は教会や神社や寺院の祭壇と同じように神聖な魂が宿っているので、大切に扱わなければいけません。私たちそれぞれの身体に宿った魂は神のエネルギーなのですから、神を崇めるように自分を愛さないといけません。その時初めて、心に溢れる愛を他の人と分かち合うことができる。 どんな悪さを行ったとしても、神様が怒って罰するなどとは、私はもう信じていません。人生で起こるできごとを、どう受け止めて、どう感じるかどうかは、それぞれの人の選択だと信じます。その選択によって、この世の地獄にも、天国にも、今生きることになるのではないでしょうか。 天国はないって想像してごらん そうしようと思えば簡単なことなんだ 下には地獄もなく 上にあるのは空だけ 想像してごらん、全ての人々が今に生きていることを 守護霊さまたちはいつも私たちを見守っていてくださり、この世の楽園に生きられる助けをしようと、メッセージを送って下さっているそうです。でもみんながみんなそれに気づくわけではない。気づくには直感性を鍛えないといけないのだそうです。それには瞑想が役立ちます。グルが個人のマントラを託してくださる(聞いたところによると、マントラにも限りがあるから同性と同年齢にグループ分けされたマントラだそうですが)ような瞑想講座を受講される人もいますね。受講料が高くて(団体が利益を得るためではなく、慈善金として。例えばサイババは無料の学校や病院を建てた。)私はまだ受講したことがありませんが、少しずつ私の直感が冴えてきているので、自己流でも効果があるようです。マントラはサイババが教えたガヤトーリ・マントラを使っています。 私はこのマントラを三回くり返して、朝と夕方、それと問題が起こった時やガイダンスが必要な時に唱えています。朝と夜4時から8時にかけてが神聖な時間帯で、唱えるのに一番効果があるそうです。日が昇り、沈む時間帯だからなのでしょうね。 この修行を行うと、過去の悪いカルマが解消されるそうですが、私はカルマは前世からの成績表のようなものだと今は理解しています。次の人生の物語の脚本を書く時に必要な情報なだけ。飢餓に苦しむ人々を助けること、暴力と公害をなくすことのような、早急な対処が必要な問題に私たちみんなが一緒になって真剣に取り組めば、世界を変えることができるはず。私たち一人一人の心がけから始められると思います。 何も所有しないことを想像してごらん 君にはできるかな 欲も飢えもない 人類の兄弟愛だけがある 想像してごらん、この世界をみんなで共有することを 僕が夢を見てるっていうかもしれない でも僕だけじゃない 君もいつかそうなってほしい そして世界が一つになるんだ ジョン・レノンは悟りを開いた人、信仰しています! 彼の教えは「愛こそが答えだと君は分かっている」ー”マインド・ゲーム” Love, y.

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English

Gratitude Makes You Happy

Someone told me that you’d smell soy sauce in the air when you get off a plane in Japan. I don’t know about that, but you might smell the freshly baked sweet pies if you come to America today, as Thanksgiving day is tomorrow. Thanksgiving holidays are like New year’s holiday in Japan. Many people […]

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Japanese

感謝の気持ちは幸せを呼び寄せる

日本に到着するとお醤油の香りがする、なんて誰かに聞いたことがあります。それはどうかと思うけれど、アメリカは明日感謝祭なので、今日到着したら焼きたてのパイの甘い香りがするかも。アメリカの感謝祭は日本の年末年始のような祝日です。日本で大晦日までにおせち料理を作るように、アメリカでは感謝祭前日の水曜日にパイを焼いてご馳走の準備をします。 アメリカの家族はおせちが苦手なのでうちでは作りません。感謝祭の食事は作ったことはあるけれど、私も苦手で特にオットが大好きな七面鳥のグレービーソースは好きじゃない。でもこのあったか家族の休日はとても好き。人々が幸せそうで、愛のエネルギーに満ちているから! オットの再婚した両親がフロリダに移住して以来、数年続けて感謝祭のホリデーをフロリダで過ごしたことがあります。どこへも行かず、誰にも招待されないホリデーはダサい家族になった気がして悲しかった。この数年は仲の良い友達の家族に招待してもらえてありがたかった。今年も親切に招待してくれたけど、今回はブリッジハンプトンにある私たちのお気に入りのフレンチビストロ、ピエールに家族三人で感謝祭を祝うことにした。ホリデーを家族三人だけで過ごすことがダサいとは、もう感じなくなったのです。娘が成長して、大人の付き合いを一緒に楽しめるようになったからかもしれない。高校生の娘は山のような宿題やスポーツやジャズバンドの練習などで毎日忙しいから、祝日くらいは一緒に過ごしたいとも思う。 この連休は水曜日から始まって娘が家にいたので、いつもと違うサウスハンプトンの犬の公園に行きました。途中雑用をいくつか片付けて、サウスハンプトンに行ったついでに有名なテイツベーカリーに寄った。小麦粉と砂糖を避けている私だけれど、ベーカリーに行くのは好きだし、祝日だからということで。甘い焼きたての香りはホンワカしてしあわせ気分になりますね。一年で最も忙しい日なのでしょう、レジには列ができてました。私の大好きなストロベリールバーブパイはすでに売れ切れていたので、もう一種のお気に入りのチェリーパイの小さいのを一つ買った。オーブンで温めてバニラアイスといただくのが美味しい! 公園のあとはウォーターミルにある日本食レストラン、好きずきでランチ。オットは魚介類は食べない(焦げるほど焼いたエビ以外)ので、娘と二人だけの時は私の大好物のお寿司が第一候補。人気のレストランは混んできた。ウエイトレスが一人だけだったので、できた料理がカウンターに十分間も置き去り。お腹が空いているところを十分間も待たされると、しびれをきらしてウエイトレスやウエイターにかなり辛く当たる人がいるものです。でもホリデー気分のせいか、今日は誰も文句を言っていませんでした。 私は待たされても腹を立てたくないので、笑顔で状況を理解するようにしている。母親が幼児に教えるように、「お願いします」と「ありがとうございます」は魔法の言葉。優しい口調で目を見て相手に話す。それが欲しいものを速く手にする方法だと思う。人の心を操っている?そうかもしれない。でも相手を怒鳴り散らしても欲しいものは得られないと思う。傲慢な態度で上手くいく人もいるけれど、感謝を捧げる方が精神的にいいと思う。感謝の気持ちはパワフルな愛のエネルギーで、人の心を左右する力がある。幸運も呼びよせる。私たちはエネルギー体だから、エネルギーは言葉よりも速く相手に届きます。 五、六年前、日本人ヒーラーのセッションでおもしろい実験をしたことがあります。人と話す時に、自分と相手のお腹が向き合っていると、より良く理解しあえるのだそうです。先生と私は数歩離れて向き合う形で立ち、私は目を閉じた。先生が体を横へ向けると、先生のエネルギーの流れが動くのを感じました。磁石をいじって遊んだ時のような感じです。同じ極同士を近づけた時に感じる磁波の対抗力。 感謝祭は与えられたものに感謝を表する日であることはみんな知っています。言葉にもエネルギーがあるから、感謝の言葉を口に出すだけでも良いことを引き寄せてくれる。祈りの言葉も同じ。残念なことに、自分が大病をしたり、うざったくても、いつも側にいてくれた家族がいなくなったりするまで、自分がどんなに恵まれていたかどうか気がつかない人たちがいます。私も実は最近まで、与えられていたものを当然のように思って生きていたところがあります。 みんな日々の生活に追われていて、気がつかないだけなんですよね。私はいつも仕事で忙しくて、家族から孤立していました。私の好きなことを一緒に出かけて楽しんでくれないオットに文句を言い、そして落ち込んだこともありました。人は自分にない物を欲しがりがちなものです。友達の持っているものに嫉妬したり。私にもそんなネガティブな感情に苦しんだことが過去にありました。感情的になってよく泣きました。惨めな時期でした。 卵巣嚢腫摘出の手術を二度、妹の死、母の認知症と猛烈な偏頭痛を体験して、自分が今まで恵まれていたことが、やっと分かったのです。人生で学ぶためには、みんなそれぞれ通る道があるけれど、本来の自分が何者であるかを思い出し、無条件に愛せるようになることが究極の学びなのだそうです。シンプルだけれど、容易なことではないですね。私たちはエネルギー体のスピリット(魂)で、人生を体験しているのです。 この人生で与えていただいたもの、特に私の家族に感謝しています。感謝の気持ちを胸に抱くと、誰かや何かを愛する時と同じ感覚があります。胸がときめいて幸せな気持。このときめきをいつも感じていたい。与えられた日々に起こる、小さなできごとの一つ一つに感謝しましょう!良いことを引き寄せて幸せでいられるでしょう!ハッピーサンクスギヴィング! Love, y.

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Hamptons Japanese Passion

不安がもたらすもの

ノーベンバー・レイン(ガンズ・アンド・ローゼスの曲好きです)はホンワカするものがある‥ハンプトンズは今かなり寒いけれど、すっきり整えられた家々の玄関が秋色のスプレー菊で飾られていい感じ。瞑想サークルのあと、いつものカフェでアーモンドミルクのチャイラッテを楽しむのが私の朝の日課です。最近では入ると同時に私のチャイラッテを作り始めてくれて、帰り際には「よい一日を過ごしてね、ユカ!」と言ってくれる顔見知りのスタッフもできた。そんな小さなことがハートを温めてくれて、平穏な気持ちにさせてくれる。住み慣れたみたい。 いつもなら、この時期はバレエの『くるみ割り人形』の仕事をしていて異常に忙しくて、他には何もすることできなかった。二ヶ月続けて毎日一日中コスチュームを製作していて、ストレスで寝ている時に歯ぎしりしているとオットに言われていた。娘のためのクリスマスツリーもショーが終わるまではお預け。そこまでするだけの価値はあったけれど、仕事の量があまりにもキツかった。 でもこの秋はべつ。何百着というコスチュームをこの十一年作ってきたバレエの学校を、去年の『くるみ割り人形』を最後に辞めた。みんなから感謝されて居心地のいい環境ではあったけれど、わたしはニューヨークシティ・バレエ(NYCB)やメトロポリタン・オペラ、それにもっと大きなフィルムの仕事をすることをずっと夢見ていた。占星術師のジェイムス・ヘイグニーによると、私くらいやるべきことをやりこなしてきた人をまだみたことがないとか。持って生まれた向上心で、次々に成功を収めたがる。軽薄に思われるかもしれないし、自分のエゴだとはわかっているけれど、称賛されるアーティストになりたいのです。思考は現実化する。ならばぜひ実現させたい。映画『フィールド・オブ・ドリームス』でささやかれたように、「それを作れば彼は現れる」!そのために新しい仕事を迎えるスペースを作った。マドンナの歌ではないけれど、今こそジャンプする時が来たと思う! 映画『ファントムスレッド』でオートクチュール・デザイナー役を演じたダニエル・デイ・ルイスにドレーピングのやり方などの指導をした、NYCBコスチューム・ショップディレクターがその”彼”だと最初に思った。ショップディレクターと知り合いの友達に紹介をお願いしたら、快く許可を得て”e-紹介”していただけた。NYCBでコスチュームデザイナーがどのように仕事をするのかを、私と会って説明してくれるだろうということだった。演劇界ではコスチュームデザイナーはディレクターが連れてくるものだけれど、バレエの世界では振付師とつながる必要があるようだ。 私は彼からの返事を心待ちにしていた。一週間はあっという間に去り、そして一カ月‥とても忙しい人だと知っていたので、夏休みに入る前を見計らってファローアップのメールを送るまで、三カ月辛抱強く待った。それでも返答なし。「メールちゃんと届いたのかな‥」と不安になった。大事なメールが迷惑メールボックスに直行することは良くあることだから、ちょくちょくチェックしていたけれど、NYCBからは何も来ていなかった。みじめな気持ちで返事がない理由を探していた。 タロットカードでは、何か他にするべきことがあると出た。電車がホームに入ってきたらすぐに飛び乗れるよう、準備を整えるように言われた。何をしたかというと、NYCBについてもっとよくリサーチをした。必要ならば下働でもなんでもするつもりで、コスチューム関係の募集があるかどうかをチェックした。専属振付師で、今さわがれるジャスティン・ペックのビデオも見たりした。彼と仕事をしたことのあるアーティストの中には、仕事を始めて四年くらいですでにいくつも賞を受賞している若いアーティストが何人かいた。マンハッタンにはそんな若くて才能のある、エネルギッシュでスピーディーにコスチュームを生み出すアーティストが五万といる。そんな若者たちと、私はどうして対戦できるだろうか?そんなエネルギーが私にあるだろうか?すごく圧倒されて、落ち込んだ。不安が心に重くのしかかった。 幸い私はそんな風に落ち込むことには慣れていた。不安感を振り落として、エンジェルがいつも私を助けようとしてくださっていると自分に言い聞かせた。そのおかげか、瞑想のあとに手にとったグープの雑誌にその答えが! 「他人と比較することは毒となる。自分自身と対決するのは健全。どんなにそそられても、自分の周辺、先をゆく人、後から追ってくる人がしていることを気にしていても何も良いことが起こらない。人それぞれが、個々の人生と向き合っているから;自分が得るもの、得ないものは他人には関係がないし、他人が得るもの、得ないものも自分には関係がない。今ここで自分が得るべきことに全集中を向けよう。」グウィニス・パルトローありがと〜 夏の終わり、友達のダイアンが誕生日祝いにNYCBのイベントに招待してくれた。そこで紹介してくれた女性はなんと、NYCB取締役副会長五名のうちの一人(サラ・ジェシカ・パーカーもその一人)であった!デザインしたチュールのスカートをはいてきて正解。注目された。「あなたのようなすてきなコスチュームで(NYCBのプリンシパルダンサーたちが)踊ってくれたらいいのにね!」インターミッションの後、近くに座っていた女性からお世辞を言われた。「嬉しいこと言ってくれたわね!」いたずらっぽい笑顔でダイアンが横でささやいた。 素晴らしいことに、その副会長さんは『くるみ割り人形』で見た私のコスチュームはとても良かったと言ってくださった!「NYCBで仕事をしたいとずっと思っていたんです!」と興奮気味に言う私にポートフォリオを見たいとも言っていただけた!ダイアンも副会長さんもそれぞれお忙しい方たちだけれど、ダイアンがイタリア旅行から戻ったらミーティングをセッティングしてくれると約束してくれた。ダイアンの良い提案に従い、デザイン画も入れた写真集を何冊か作った。結構時間がかかった。「これが例のしなければいけない事だったのかしら?」そうだといいな。 果たしてまたもや不安な待ち時間、落ち込みモードを乗り越えてファローアップメールを送った後、やっと先週副会長さんからお返事をいただけた。ポートフォリオを見るのを楽しみにしている、次の委員会議にフォトブックを持って行けると言ってくださった!喜びで小躍りしてしまった!「よかったわね!」とダイアン‥最高!写真集、カバーレターと履歴書にチョコレートの箱を添えて(非常に日本人的)マンハッタンの副会長のアドレス宛に送った。 このことを今書いてシェアするのは勇気が要った。「いい報告が入るまではシェアするのは待った方がいいかも‥」 私は怖がらないことを選びました。不安感は悪いエネルギーだから。無知が不安をもたらす。不安感は肩に重くのしかかって、足を引っ張る。世界には何千もの成功しているアーティストがいるけれど、私にも独自の才能がある。今まで頑張って仕事をしてきて、私のコスチュームはみんなから称賛されている。私だからこそできる仕事が必ずあるはず。不安感をやっつけるのには瞑想が役立っている。第三の目のチャクラから、愛のエネルギーの白い光が差し込むのを想像しながら息をゆっくり吸い込み、黒い煙の不安感を地にはき出す。瞑想サークルのリーダーがシェアした本の一節に私へのメッセージがありました。 「昨日起こった事や明日起こるかもしれない事を心配することに多くの時間を費やしていては、人生を楽しむことはできない。恐れるから心配になるのだ。いつも恐れていては、今生きていること、幸せでいられることに感謝することができない。」ーティク・ナット・ハン 恐れずに愛を! Love, y.

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Hamptons Japanese

この世を去った妹

ハロウィーンがすぐそこまでやってきて、トリック・オア・トリートでにぎわうハンプトンズのストリートの多くの家が、飾り用の蜘蛛の巣や墓石などで墓場やホーンテッドハウスになってきた。紅葉で木々が赤やオレンジや黄色に染まり、暖炉に焚かれた薪やスパイスの効いたアップルパイの香りが空気に漂う季節‥ほんわかしていい感じ。ただ私には、四年前に妹がこの世を去ってからはちょっと寂しい時期でもある。 あの10月15日の寒い朝、私はフェイスブックのメッセンジャーで友達とその週マンハッタンに観に行くショーの予定を立てていた。主演女優のブライス・ダナーからの招待である。ブライスとはその夏イーストハンプトンであったショーのワードローブの仕事をして知り合った。私の仕事ぶりをとても気に入ってくれて、優しくしてくれた。マンハッタンで仕事ができるように手助けしたいと言ってくれて、彼女の新しいショーでワードローブの仕事をしないかと聞いてくれたけれど、私はすでにシェークスピアの『ハムレット』のコステュームデザインの仕事が入っていて受けることができなかった。私を招待してくれたのは、ブライスのような有名人でさえも購入困難だったケイト・ブランシェット主演『メイド』のチケットを幸運にも友達のダイアンBから譲って貰って、ブライスを招待した後だったからだった。開演前に日本食レストランで夕食もご馳走してくれて、冷酒をいただきながら楽しい時を過ごせたので、その週またブライスに会えることをとても楽しみしていた。 いつもの朝のおきまりで、パジャマにぬくぬくローブ姿でレモン湯をすすりながらダイニングテーブルでラップトップの前に座っていた私。そこへ日本からショッキングな電話が入った。残された子供達をずっと見守ってくれている、妹の元彼からだった。妹がその日亡くなって、私の姪と母に付き添って警察署から電話をしていると言った後、泣いている姪に電話を代わった。遅かれ早かれこんな日が来るとは思っていたけれど、現実を受け入れるのは難しかった。頭がパニック状態になったけれど、かわいそうな姪をなんとかなだめたかった。母がそばにいても認知症で頭が働くなっていたから、あまり支えにはならなかったと思う。感情も麻痺しているようだった。母の人生は苦労が多かった。一人で私たち子供三人を育て、祖父母の面倒をみて、その後妹と孫二人も背負う羽目になった。孫二人の世話をすることは母の生きがいになってはいたようだけれど。 私の妹も母と同じで結婚に失敗していた。妹の別れた旦那のことは私はあまりよく知らなかったけれど、ヤクザと問題を起こして、二人目を妊娠中に蒸発したと聞いている。妹家族は実家で美容院を経営していた母と同居していた。妹も美容学校へ通ったものの、中退してバイト以外に仕事をしたことがなかった。私と妹はあまり話をしていなくて、妹が死ぬほど飲んでいたことも知らなかった。ある日「死にたい」とメールが入るまでは。驚いた私はニューヨークから直ぐに電話をした。妹は重度のうつ病に苦しんでいた。話を聞いた後、まだ母が元気で子供達の面倒をみてくれている間に、仕事のためのスキルを身につけるようにアドバイスした。その後時々電話で話したけれど、わたしがうるさく言い過ぎたのか、電話に出てこなくなってしまった。 その翌年、母が完全にボケてしまって家のことをどうしていいか分からない、帰ってきて、と妹が哀願の電話をしてきたので帰国した。認知症レベル1と診断されたという母だったけれど、私にはまだ普通に見えて、妹のことの方がよっぽど心配だった。。付き添って精神科の医師に会ったり、いろいろと溜まっていた用事を処理するのを手伝ったけれど、妹は酔っ払ってハイになっているか、精神安定剤で寝ているかのどちらかであった。妹はその二年後に肝硬変で亡くなったのだ。いつの頃からだったのか、子供達や母を放って当時の彼氏のアパートで過ごしていて、そこで亡くなったようだった。 私は当時『ハムレット』の仕事をしている最中だったし、最悪なことに、家の改装のために借家へ数日後引っ越す予定で帰国するには不都合な時だった。「直ぐに行ったほうがいい?‥それとも少し後で、お葬式前までに行けばいいかな‥?」姪の気持ちを聞くと、思った通りすぐに来てほしいと言うので、そうするしかなかった。電話を切った後、オットにテキストしたら、すぐに家に電話してくれた。オットの存在が本当にありがたい。朝のくつろぎが大混乱になってしまった。深呼吸して心を落ち着かせ、帰国の予定を立てた。 母が物を捨てられず家の中はゴミ屋敷になっていたので、実家に泊まることはできなくなっていた。私は旅行の計画を立てるのには慣れていけれど、この時選んだ安いが狭いチェーンホテルは失敗だった。大浴場と和食の朝食ビュッフェは良かったけれど、陰鬱で夜一人で部屋にいて怖くなった。ネガティブな気配。アメリカに来てから気がついたことであるが、私は少し霊感があるようで、昔から場所によって背筋がゾクゾクしたり、頭が重くなって吐き気をもよおしたことが何度もあった。ホテルでテレビをつけっぱなしで寝たら、ある晩夜中に「ナンミョウホーレンゲーキョー」とカタカナ風に唱えるお経で目が覚めた。テレビでモハメド・アリの葬儀を中継していたのだった。仏教を信仰していたのだろうけれど気味が悪い。私の家族は日蓮宗を信仰していたけれど、日本のお葬式というものはどうしてあんなにおどろおどろしいのだろうか。 日中は妹が亡くなった後の各種手続きを母に代わって動き回っていたため、火葬場へいざ行った時まで妹が亡くなったという実感がまだなかった。母は一度も涙を見せなかった。子供達もその日まで学校へ通っていて会っていなかった。私は妹を亡くした悲しみを家族の誰とも分かち合っていなかったせいか、喪服姿で会場に現れた三人の叔母たちの顔を見た途端、突然悲しみが浮き上がって涙があふれた。妹が入退院を繰り返した費用や治療費で母は貯金を全て使い果たして破産していたため、生活保護のお世話になっていた。葬儀の費用や手配は保護課でしてくださるとのことだったのでありがたかったけれど、御通夜も、お葬式もお坊さんもない、火葬場だけで済まされた。棺の中の死化粧もされていない蒼白い妹の顔を見た時には、かわいそうで泣けた。あんな悲しい死に方は私はしたくないと思った。ちゃんとした葬儀をしてあげられなくてごめんね、と妹に謝って私は泣いた。最後のお別れで欄の花を胸に置いた時、妹の目から涙が‥「感謝の涙だな」母が淡々と言った。その光景は怖かったけれど、美しくもあった。 ハンプトンズに戻ると、ハムレットのキャストやクルーのみんなや私が衣装をデザインするバレエの学校ダンサーたちからお悔やみ状が寄せられた。感謝で心が温まったけれど、ハムレットのオフィーリアの遺体の人形が棺桶の妹を思い出させて、葬儀のシーンを見るのは辛い物があった。忘れるまでにしばらくかかった。 この命日の数日前、夢で妹に会った。セレブ霊媒師のジェームス・ヴァン・プラグによると、亡くなった愛する人が夢に出てくる時、実はあちらの世界に私たちが訪問したのだそう。命日の日、ラインで甥、姪と弟にグループラインしてみた。甥からだけ反応がかえってきた。甥も夢で母親にあったらしい。「何か言ってた?」と聞くと、「ごめんね、ってマジで言ってた。」と甥。 甥には必要だった言葉だったと思う。妹のことは悲しかったけれど、あちら側では大丈夫だと私は信じている。妹のそばにいてあげなくて後悔はある。でもこれも人生。今は妹があちらから家族を見守ってくれているだろうから、私は自分のできる限りのことをしていけばいいと思う。 みなさんも、どうぞ与えたれたものを大切にして、愛する者には愛情を日々伝えられますように‥! 愛を込めて y.

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Japanese

人が私をどう思うかは私の知ったことではない

ついこの間、この春東京で会って以来ずっと話していなかった古い友達とラインで軽くおしゃべりをした。ちゃんとしたお母さんならみなさん同じだと思うけど、彼女も娘さんの学校のことを心配していた。娘さんと話し合いをしているはずが、親子喧嘩になってしまうらしい。高校の留学制度を利用して海外を体験するのに留学させてあげようとしているのに、当の本人は全く興味がないとか。私もティーンエイジャーの娘がいるから彼女の気持ちが分かる。 「うちの娘は受験体制に入ってすごくやる気になってるよ。忙しくてケンカするヒマもない感じ。あと二年でいなくなっちゃうんだな〜なんて。」と返事を書いた。 「ゆかちゃん家は活気があるね。ウチはダラ〜としてる。でもヒマだからケンカしてるわけじゃないんだけどね。」彼女のことではなく、自分のことを書いたつもりが、誤解させてしまったようだった。仕事をしながら一人で子供二人を育てている良い母親をしている友達を、私は尊敬していた。 「そんなつもりで言ったんじゃなかったのだけど、ごめんね!うちの娘はこの夏はずっとバイトしてたし、あとはサーフィンしてるか、友達と出かけてるか、パパとスポーツのトレーニングしているか、宿題をしているか。話せる時なんか車で送り迎えする時くらい。それもただ私がお説教してただけで、ちっとも話を聞いてあげていなかったの。ほとんど返事がなかったから、嫌だったと思う。よく泣かせたし。母親だからって威張っていて、他にどう接していいのか分からなかったの。誰も人を変えることなんかできないんだよね。自分の子供でさえ。でも自分自身が変われば周りも状況も変わるよ。私は犬を飼ってから子供に対する愛情を表現できるようになって、子供にも大人と同様に話せるようになったの。一緒にしゃべるのが楽しくなった。子供も成長したんだよね!」と説明して、話題を最近出会ったセレブの話に変えた‥ もしかしたら友達は誤解して嫌な思いをしてしまったのかな、と思ったけどあえて聞かなかった。 人は時々、誰かに言われたことを気にしてしまうものだな、とあとで思った。以前相手に嫌な思いをさせられたことがあって、自己防衛しただけだというひともいるかもしれない。でもそんな昔の心の傷を思い返して、どこかで忘れ去られた幼い自分の記憶を探ってみたら、嫌な思いをさせたのは自分自身だったと気づくことがあるかもしれない。ほかの人が自分をどう思っているかとか、自分を好いてくれていないとか、尊重してくれていないなどということを心配することで。そんなネガティブな気持ちは大敵で自分を不安にさせて不幸せにするだけ。誰かが実際何かを言ったのならまだしも、大抵は自分でそう思っているだけじゃないだろうか。たとえ人があなたに考えなしなことを言ったり、人前であなたを罵ったとしても、それはその人の問題で、あなたが心配することではないと思う。人がどんな状況にいて、ホルモンのバランスが悪いとか、ストレスが溜まっていることなどは知る由もないのだから、いつも自慈悲の心を忘れずに、自分にできる限り人助けを心がけたい。だからと言って、ネガティブなエネルギーはごめんこうむる。みんなそれぞれ問題があるけれど、それが人生というものだから関わる必要はないのかもしれない。人助けはいいことだけれど、まず自分や自分の家族を大切にしなければいけない。自分を愛することができれば幸せだし、人を愛することもできる。 そんなことを考えていた時、ヘイハウスというスピリチュアル系な出版会社のニュースレターから、故ウエイン・ダイアー博士からのメールを受け取った; 「誰かがあなたの気にすることをいったとしても、それを個人的に嫌味に受け取る代わりに親切な対応をする。自分が正しいことを主張するよりも、親切な対応を心がけたい。」 「仕返しをするなら自分の墓穴も掘ったほうがいい」ー中国のことわざ。 「ひとからの贈り物を辞退したら、その贈り物は誰のものだろうか?ほかのひとの物をなぜ自分を嫌な気持ちにさせる原因にするのだろうか?」ー悟りを開いたマスター。 「人気の本のタイトルのように、人が自分をどう思うかなど私には知る由もない。」 ドイヤー博士に感謝。自分自身でいることがだんだん楽になってきた。自分が愛されていることを知っているから。

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デイビッド・バーン アメリカン・ユートピア・ツアー

いろいろな音楽が好きなダンナと私だけど、同じタイプを好まない‥これって特に遠くへドライブするなんか結構つらい。一番大好きな曲(もちろんデュラン・デュランのセーブ・ア・プレイヤー!)をいきなり断りもなく止められた時には腹が立ちました!彼は”おやじ系”ヴァン・モリソンなんかが好きで、私は80’s一辺倒だから、一緒にコンサートに行くのはほとんど皆無。ラッキーなことに、私が友達と出かけるのは気にしないので、親愛なる友達のマキシーンがパフォーミングアーツ仲間、一緒にデュラン・デュラン、マドンナとThe B-52’sを見に行きました。他のクールなママ友たちとゴーゴーズ、ホール&オーツとチープ・トリックもハンプトンズに住むようになってから見に行きました。 それでも実は何曲か一緒に聴ける曲もあるのです。ジョン・レノン、ローリング・ストーンズとかホール&オーツ。今でもオリジナルメンバーで現役だからすごいですよね。いなくなる前に是非観に行きたいけれど、オットが言うにはストーンズはライブだと音がもう”タイトじゃない”から行きたくないそうです。ふーん。そんなかんじなので、先週の月曜日にマキシーンと彼女の天才的ミュージシャンのトム・ドンコートと一緒にデイビッド・バーンのライブに行ってくれてとってもうれしかった!私なんてまだ”ベイビー”だった時にトーキング・ヘッズ聴いていたそうなんです! キングス・シアターはブルックリン・ブリッジのふもとにある有名なレストラン、リバーカフェから18分だというので5時半にそこで待ち合わせた。ブルックリンへはハンプトンズから車で約3時間。相変わらず高速は渋滞していたけれど、いかすHOVレーン(二人以上乗車の車のみ走れる)ではスイスイ!30分早く着くと思ったのに、私のスマートなレクサスがマンハッタンへ渡るウイリアムズバーグ橋へ行く道にナビしていたことに気づかず、すごい渋滞で他に出口がなくて、普通10分のところ40分もノロノロ行く羽目になり10分遅刻!レストランではとてもすてきな時を過ごしていて誰も時間を気にしていなかったので、コンサートの始まる10分前にそこをやっと出た。そしてシアターまで30分もかかってしまった。まだ人がゾロゾロと会場していることろを見てホッとしました〜9時までコンサートは始まらなかったのです! もう一人のデイヴィッド・バーンファンで一番カッコイイ友達のダイアン・B(トーキング・ヘッズやブロンディを生み出したライブハウスCBGBやStudio 54など、あの時代をすべて体験してきた女性です!)は愛するリズとイタリア旅行中でコンサートに来られなかったけど、彼女の仲良しの友達のアイリーンは行ったらしい。翌朝私たちにどうたったか報告して!とイタリアからメールが来た時のアイリーンの返事は雑誌のように素晴らしいレビューでした。 「デイビッドはかつてしたことがないような”パフォーマンス”を演じてくれたわ。オープニングは、きついライトに照らされたデイビッドが脳みそを手に、質素な木の机に座ってるの。ボブ・ウィルソンがハムレットで(頭蓋骨を持って)やった時みたいな感じよ。ステージは完璧なミニマリスト。天井から床まであるチェーンのカーテンが後ろ三片に壁を作ってた。今はなきフォーシーズンズ・レストランのチェーンカーテンのシルバーバージョンね。バンドはショルダーストラップで楽器を背負った軽装のマーチバンドスタイル。1995年のジル・サンダース的なシルバーグレーのギャバジンスーツをみんなお揃いで着てたわ。最新アルバムからの2曲から始まって、昔のヒット曲も演奏。新しい曲と古い曲をショーに織り込んだのはスマートだったわ。観客はみんなトーキングヘッズの熱狂ファンだったんだもの。私が座っていたオーケストラセンター10列目では最初の二曲目からみんなが立ち上がって、帰る時まで座らなかったわよ。最後はイメルダのショーからの2曲で締め。最後の曲はジェネル・モナエがワシントンD・Cのウーマンズマーチで歌った曲を、彼女の許可を得て今の政治状況にアップデートしたという替え歌だった。このツアーのすべてのショーのロビーにその場で選挙投票登録を行うグループ”サインアップ”(確かそんな名前の)を置いてるんですって。アメリカ各地で20%の国民しか投票していないのに(彼の言ってることは正しい)投票しない残りがいつも文句を言っていると、観客に叱ったわ。今まで私が見た中で最も素晴らしいミュージックショー・パフォーマンスだったわ。」 デイビッド・バーンが30代のように踊っていたということくらいしか、これ以上付け加えることはありません!本当にカッコよくてスマート!2度目のアンコールで歌った最後の曲では警察に射殺された人たちの名前を叫んでいた、と後でスマートなオットから教わりました。政治には全く興味のなかった私も、多くの人がそうしたように2016年の選挙前からニュースを読み出しました。投票するためにアメリカ国籍に変えたくらいです。マキシーンとその娘と一緒に私もD・Cのウーマンズマーチに参加したけれど、ジェネル・モナエの演奏は遠すぎたからか聴きませんでした。あの夜沢山の人が投票登録したといいな。デイビッド・バーン、ありがとう!私のヒーローです! Burning down the house Say his name Everybody comes to my house

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